2007年10月30日

第3回世界探検旅行、チリ-2

CIL03013.jpgCIL02038.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
大正13年(1924)、チリで走っていた路面電車2種。2階建ての路面電車は珍しいと思って調べてみたら、現在世界中で2階建て路面電車が走っているのは世界中で香港だけ。運行開始は明治37年(1904)。南米の次に行った南アフリカの写真にも2階建て路面電車が写っている。この時代2階建て路面電車というのは流行っていたのだろうか?


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2007年10月27日

第3回世界探検旅行、チリ-1

03cil001.jpgCIL03042.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
ペルーのアルバムに、「大正十三年四月一日カイラオ出版の東洋汽船南米航路楽洋丸に便乗、智利國バルバライソ港に向け出発發す。」チリの絵葉書は唯一この1枚だけがしるかぎりではある。残されたチリと明記してあるフィルムは148枚。ほとんどが街の写真だ。バルパライソは首都サンチャゴから120キロ。チリのあとはアンデスを越え鉄道でアルゼンチンへ行っている。バルパライソからアルゼンチン行きの鉄道があれば、チリの写真から考えて
そのままアルゼンチンへ向ったと思われる。
チリの絵葉書には
「世界で有名な夜景の美しい港、南米チリー國バルパライソ市競馬場観覧席の花園にて世界探検家菅野力夫。  チリー在留六百邦人中第一の成功者新潟県人千田商店入口にて千田平一氏とチリー婦人店員及菅野探検家」とある。
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2007年10月24日

第3回世界探検旅行、ブラジル7

brz15028.jpgbrz10017.jpg03pc-brz001.jpg

菅野力夫の第3回世界探検旅行
絵葉書の説明には
「雪かと紛ふ綿の花、日本人経営の綿花円の美観」
「天涯萬里異郷の地に産まれた南米ブラジル国日本人小学校在学の少年少女を慰問旅行中の世界探検家菅野力夫」
「此場所はサンパウロ州ノロエステ線プロミツソン駅ピリグイヂンニョ日本植民地なり」
とある。
菅野力夫はブラジルに限らず各地の日本人学校を訪ねている。
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2007年10月21日

第3回世界探検旅行、ブラジル6

3pc007.jpgbrz15007.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
絵葉書には「晴天上に樽の風呂、ブラジル国サンパウロ州を騎馬旅行中コチア日本植民地にて世界探検家菅野力夫、井戸端の婦人は同地日本人会長石川県人武部繁氏夫人」とある。
写真のほうの風呂にしても、開拓移民の家は自分たちで主に葉、木、草などで作り、家の中に浴室があるわけではなく、水をためやすいように井戸の近くに樽などを置いて風呂をつかっていたとようだ。開拓移民の暮らしの一端がうかがえる写真である。
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2007年10月18日

第3回世界探検旅行、ブラジル5

brz14003.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
リオグランデのメモにあった写真の一枚。日本人の移民夫婦と思われる人物が、リオグランデで獲れたと思われる魚を持ち上げているところ。リオグランデ沿岸に入植したのだろうか。魚の名は不明。後ろに移っている葉で作られた家にすんでいたのだろうか。移民した人々の苦労がしのばれる写真だ。
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2007年10月16日

第3回世界探検旅行、ブラジル4

brz14029.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
このネガのメモには、リオグランデとある。ブラジルには、パラナ州のパラナ川の支流のリオグランデ川があり、ほかにリオグランデ・ノルチ州、リオグランデ・ド・スル州とあり、リオグランデ・ド・スル州にはリオグランデの街がる。しかし写真から判断するとリオグランデ川の写真と考えるのが妥当だと思われる。他にノルエステ線テイテイ河というメモのある写真もあり、いずれも壮大な河でさすがブラジルの河といえる。
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2007年10月15日

第3回世界探検旅行、ブラジル3

brz05041.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
サンパウロの反乱が1924年7月におきる。その時の市内での写真。菅野のメモにはサンパウロ革命市街戦とある。銃撃戦の写真もあるが、惜しいことに2重露光になっている。これらの写真は、昭和13〜14年にかけての第8回世界探検旅行において、日中戦争の最前線の写真が残されている。そのさきがけともいえる写真だ。
大正13年(1924)4月にペルーからチリに行き、その後アルゼンチン、そしてブラジルのコースと思われるので、8ヶ月滞在したペルーに比べ、チリ、アルゼンチンの滞在は短かったと思われる。ブラジルの写真はペルーに比べ多く残っている。ブラジルでも各地の写真がのこっているので日本力行会員として海外移住、移民には興味があったはずである。これらのことからブラジル滞在も長期にわたったものと考えられる。
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2007年10月07日

第3回世界探検旅行、ブラジル2

03pc-brz003.jpgbrz01001.jpgbrz02097.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
絵葉書には、「天涯萬里異郷を拓く日本村、ブラジル国日本農民創業当時の住宅、この場所はサンパウロ州アララクワラ線帝国植民地にして菅野探検家の実写せるもの」とあり、プリントはアララクワラ線といと書かれていた袋に入っていたもので、同じ日本人移民村ではないかと思われる写真。蟻塚の写真も同じ袋に入っていた。現在のサンパウロ州アララクワラ市なのであろうと思われる。アララクワラ線というのは、鉄道の名称なのか、以前は州などといわず、線といっていたのだろうか?ブラジルの写真には、日系移民の様子を写した写真が数多い。ペルーの写真にはインディオの人々も多く写っていたが、ブラジルの写真には現地の人はあまり写っていない。
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2007年10月06日

第3回世界探検旅行、ブラジル

h02b047.jpgbrz05018.jpg3pc006.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
ペルーをあとに、チリ、アルゼンチン、ブラジルと旅した菅野力夫。チリ、アルゼンチン、ブラジルのネガも残されているが、残念ながらアルバムは無い。大正13年4月1日にペルーを出航、以降の詳しい月日はわかっていない。ブラジルのネガは500枚以上残っている。絵葉書の説明文から、
世界三大美港の一、山水明眉の都、ブラジル国首府リオ・デ・ジャネイロ市、別荘地コパカバナ海岸通、同市人口壹百七十五萬(菅野探検家実写一萬二千八百枚の内)
我外交官中稀にみる英傑特命全権大使田村七太閣下とブラジル旅行中の菅野力夫
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2007年10月04日

第3回世界探検旅行、ペルー6

per03106.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
大正12〜13年(1923〜24)のペルー国内の蒸気機関車と駅と思われる写真。この写真はペルーと表記されたネガの中にあったので、ペルー国内と思われる。建物も機関車も全容がはっきり写っているものなので、鉄道に詳しい方が見れば、いつごろ、どこの国で製造、使用された機関車か、また象徴的な建物なので、ペルーのどの街の建物で駅なのか、あるいは全然違う建物なのか、わかる方がいれば教えてください。ペルーにかぎらず、列車、船、車、飛行機など写っている写真もたくさんある。
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2007年09月25日

第3回世界探検旅行、ペルー5

priper0002.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
ツルマヨ探検隊の写真。ネガはないがプリントで残っていたもので、日本人と思われる人物が写真には3人、撮影者の菅野力夫を含め日本人は4人。2人はライフル銃を持っている。他はペルー人のガイドやポーターと思われる。手前のペルー人は裸足だ。他には河の小島で小屋掛けしている写真、椰子の葉で小屋を作っている写真、食料として猿を焼いているところの写真などが残されている。
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2007年09月23日

第3回世界探検旅行、ペルー4

per05071.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
ペルー国内探検旅行の途中のネガからの写真。ツルマヨという地域があり、大正7年に星製薬が薬草を栽培するためツルマヨに三十余万町歩の土地を購入した。ツルマヨはアマゾン河の支流が縦横に走り、灌漑に不便なく、密林が広がり十人が手を繋いでも廻り切れぬ程の大樹が密生し、又元来煙草の原産地だけあって十尺位の煙草が生長している。星製薬とは作家の星新一氏の父親星一氏が作った会社で、星一氏は福島県いわき市出身。菅野力夫とは同県人でもあり交流があったようだ。
菅野力夫は日本力行会の会員でもあり、移民に関しては非常に興味があったようだ。この写真がツルマヨへ行く途中という決定的な資料はないが、ガイド的なペルー人と現地の女の子、もう一人の女性は謎だが、峠の茶屋のようなところで一休みしているような感じだ。ツルマヨは奈良県ほどの広さがあったそうなので、アマゾンの支流がある密林地帯、そして背景のような山岳地帯も含まれていたのではないだろうか。ツルマヨという記述のある写真でジャングルの中の写真、山々が写っている写真などがある。
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2007年09月22日

第3回世界探検旅行、ペルー3

3pc002.jpgwt-3002.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
アップしたアルバムのキャプションには、全島ワナイ鳥を以て埋む。マカビ島のロボの群集。別のページのキャプションには、秘露(ペルー)国リベルタ州チカマ湾外(七海哩)マカビ島に於けるワナイ鳥の群れ。鳥糞島の一大壮観。糞の中で卵を産みて、之を孵化す。白き岩の如く見ゆるのは全て鳥糞なり。
ラ・リベルタ州はリマの北およそ500キロほどにあり、州都はペルー第3の都市トルヒーヨがある。チカマ湾、マカビ島(鳥糞島)は、現在でもこの名称がつかわれているのだろうか?現在も海鳥の宝庫なのだろうか?菅野力夫は、リマからわざわざこの島をみるだけに行ったのだろうか?それともついでに立寄っただけなのだろうか?キャプションのある写真だけでも、いろいろな?がある。
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2007年09月20日

第3回世界探検旅行、ペルー2

wt-3505.jpg3pc005.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
8ヶ月滞在したペルーでは、ペルー国内各地に足跡をのこしている。しかし、アルバムのキャプションや残された写真から推察するしかなく、なかなか場所の特定が困難だ。「ペルー独特の草舟」の写真や絵葉書は、どこの海岸かわからないまでも、当時は伝統的な草舟で漁をしていたことが写真や絵葉書から読み取ることができる。21世紀のペルーではどれだけこの草舟が使われているものか?多分ほとんど使われておらず、今は草舟を作れる人mのほとんどいない現状ではないかと考えるのだが、あくまでも推量なので、どなたか現在のペルーの草舟がどうなっているのか?ご存知の方がいれば是非教えてください。
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2007年09月17日

第3回世界探検旅行、ペルー1

3pc001.jpgwt-3001.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
ハワイからメキシコ、パナマ経由ペルーへ。メキシコ、パナマの写真などは残っていないので、多分経由地程度で、上陸してそれぞれの国に何日も滞在したのではないと思われる。
ペルーの写真は、アルバム1冊(プリント175枚)とネガ553枚ある。アルバムには、
「大正12年8月10日 秘露國カイヤオ港上陸。大正13年4月1日 智利國バルパライソ港に向け秘露國カイヤオ港出航。首府里馬市を中心として同國各地踏破旅行。アンデス山中海抜一萬五千八百六十三呎の地点を越へてアマゾン大河の上流を探り又惨澹たる血の歴史の跡インカ帝国の廃墟に立ち國亡びて山河ありの感を深くす・・・。」という記述がある。
写真と絵葉書は、菅野絵葉書の中でもインパクトのあるもののひとつ、「ペルー国ルリン宮殿にて」ルリン宮殿とは、現在のパチャカマ遺跡のことだろうか。今から80年前には遺跡もそれほど整備されていなくて白骨がゴロゴロしていたようだ。他にもインカの遺跡の写真はあるが、ここルリン宮殿なのか、他の遺跡なのかは不明。
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2007年09月15日

第3回世界探検旅行、ハワイ-2

wt-3503.jpgwt-3502.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行

ハワイ神社?

菅野力夫が残したネガフィルムから、わかっているのはハワイ関連のネガフィルムのアルバム帖の中にあったこと。ハワイで写されたものであれば大正12年5月頃ということだけだ。この2枚の写真は同じ神社の拝殿と本殿いうよりは、違う神社という感じを受ける。どなたか大正時代のハワイのことに詳しい方がいれば、この写真がハワイの神社なのか、ハワイ神社という名称でいいのか?どこにあったものかなどなど、情報をお寄せください。
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2007年09月14日

第3回世界探検旅行、ハワイ-1

wt-3501.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
ハワイのマウイ島のハレアカラ山は標高3000mの休火山、山頂の火口群の景観は雄大で、映画「2001年宇宙の旅」のロケが行われた。現在は山頂まで舗装道路があり車で行くことができる。今から約80年前、菅野力夫は第3回世界探検旅行の第1歩としてハワイに上陸。そのさいハレアカラ山に登頂している。

山頂の岩に書かれた記念の署名

ハレアカラ
頂上踏破記念
大日本帝国臣民
大正12年5月5日登山

世界探検旅行家
大日本帝国臣民(福島人)
菅野力夫先生 登山○○―案内○○して
在ワイルク 齋藤助八 大正十二年五月五日 午後三時三十分
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2007年09月09日

第2回世界探検旅行、東清鐡道富吉鐡橋附近

2004.jpgwt-2002-2.jpg
菅野力夫第2回世界探検旅行

絵葉書のキャプションには、

武装セル「コサツク」兵ト中央ニ立テル世界探検家菅野力夫
此處東清鐡道富吉鐡橋附近故沖、横川両志士空シク大望ヲ水泡ニ歸セルノ地也

向ッテ菅野ノ右禮装ノ紳士ハ目下某将軍の内命ヲ受ケ西比利亜内地ニ活躍セル三重縣人上田傅八君

アルバムには、

コザック兵と共に 大正三年十二月二十九日
中央の紳士は支那人と名乗って北満の地に活躍せる
快男子三重縣人上田傅八氏
此の場所は東清鉄道沿線冨拉○吉站
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2007年09月06日

第1回世界探検旅行、新嘉坡

wt-1001.jpg
菅野力夫の第1回世界探検旅行
大正3年2月新嘉坡(シンガポール)にて写す。左から2番目が菅野力夫。他の人たちは、多分現地の人と思われるが詳細は不明。菅野力夫は明治45年から九州、琉球、台湾を経て、大正2年2月新嘉坡に上陸。そしてスマトラ、マレー半島、ビルマから印度へ。最初は西蔵に潜入しようとしたようだが、季節、鎖国の状態などから、目的地をトルコに変更。しかし波斯(ペルシャ)にて、軍事探偵の容疑によりボンベイに送還され、1年ぶりにシンガポールに戻り第1回の世界探検旅行を終了。
菅野力夫の探検家のスタイルはシンガポールなどで揃えたようだ。最初シンガポールに上陸した時は、この写真のようなかっこだったようだ。
■南洋週報    大正二年二月二十七日 第十七号
 長髪の漫遊者
日本衣に短袴を穿ち書生用カバンを肩より長く掛け、履はきにて頭は蓬たる長髪に中折帽子を冠むり、頗る異様な風装にて・・・。
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2007年09月01日

第2回世界探検旅行、上海

wt-2007.jpg
菅野力夫の第2回世界探検旅行。
大正4年5月7日、上海日報にて社員一同と宮田製作所の自転車とともに写す。大正3年2月に第1回世界探検旅行から帰国。そして同年8月1日に日比谷公園から宮田製作所の自転車で第2回世界探検旅行に出発。福井県舞鶴港から浦塩(ウラジオストック)港に上陸西伯利亜(シベリア)、満州を経由し上海に到る。上海からパプア・ニューギニアに向う予定だったが腸チフスを発症、入院。退院後帰国。別府温泉で療養。

【菅野力夫研究会】
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