2007年12月30日

第3回世界探検旅行、馬来8

alb10-81-2.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
アルバム10馬来旅行には「セランゴール州コーランポー日の丸ホテル 歓迎宿泊七日間 館主福島県人 遊佐直義氏」とある。
クアラルンプールに大正14年にあった日の丸ホテル。
このアルバムには、シンガポール碩田館ホテル、ジョホール菊水旅館、スマトラ島ベラワン港松葉ホテルの写真がある。
ホテル、旅館以外の日本人施設は、シンガポールでは領事館、日本人小学校、日本人共有墓地、ジョホール田中病院、女郎屋、日本料理屋、ペナンの日本人墓地、軍艦最上病没諸氏碑などの写真がある。


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2007年12月28日

第3回世界探検旅行、馬来7

alb103802.jpgalb10-39.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
大正14年2月18日、菅野力夫はイポー郊外のタンブン温泉にあった岩龍山法華経寺を参拝。そこの木の根に記念の一筆を残した。大正12年1月に日本を出発して2年が経っている。ブラジルで風呂に入っている絵葉書があったが、温泉は久しぶりだったと思われる。法華経寺には原智耀師が住職だったようだ。法華経寺は今は無いだろうが、タンブン温泉(TAMBUN HOT SPRINGS)は、いまでも入浴可能のようだ。
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2007年12月26日

第3回世界探検旅行、馬来6

alb10-50.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
無軌道電車はトロリーバスのことで、ヨーロッパでは明治末に実用化されている。日本では兵庫県に昭和3年にできている。現在立山黒部貫光立山トンネルトロリーバス(室堂駅〜大観峰駅)、関西電力関電トンネルトロリーバス(黒部ダム駅〜扇沢駅)がある。現在のペナンにはもうないようだが、近年環境によいということで中国とヨーロッパの多くの国で都市交通機関として走っている。
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2007年12月23日

第3回世界探検旅行、馬来5

alb10-42-2.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
現在もマレーシアは錫の世界最大の産地で、イポーはマレーシアの中でも錫の最大鉱山の中央部に位置している。錫が世界的に注目されだしたのは19世紀以降。当初マレ−シアの錫生産はヨ−ロッパの資本を背景に中国人の経営者が、中国人労働者を使い生産していた。このため中国から大量の苦力が連れてこられた。
写真に写っている東英公司は中国の会社なのだろう。写っている人は菅野と白スーツの2人が日本人(多分現地在住で菅野を案内した人だと思う)で他は中国人とおもわれる。
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2007年12月21日

第3回世界探検旅行、馬来4

alb10-26.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
セランゴール州コーランポー市(吉隆坡)、これは現在のクアラルンプールKuala Lumpurのこと。1974年マレーシアの直轄地域となり、スランゴール州から分離している。人口は市域で2004年180万人、都市圏で690万人。アルバムの次のページの説明書きには、馬来聯邦州(セランゴール州、パハン州、ネギリスミラン州、ペラ州)第一の都會(人口約八万)とある。現在のマレーシアは13州と3つの連邦特別自治区から成っている。
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2007年12月17日

第3回世界探検旅行、馬来3

alb10-25.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
「ネグリスミラン王城で王妃と会見」、これは現在のマレーシアのヌグリスンビラン州(Negri Sembilan Darul Khsus)で州都はスレンバン(Seremban)。クアラルンプールとマラッカのちょうど中間に位置している。この王宮は、現在ロイヤル博物館となって保存公開されている。典型的なミナンカバウ建築で、20世紀初頭に地元の2人の大工が全く釘類を使わずに建築したものだそうだ。ミナンカバウ族はインドネシアの西スマトラ州に多く、ヌグリスンビランには15世紀に移住してきた人々で母系社会が特徴。今でもヌグリスンビランは母系社会なので、菅野力夫が王妃と会見というのは他の地域では王と会見したと同じといえる。
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2007年12月14日

第3回世界探検旅行、馬来2

alb10-09.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
明治の日本の貧しい農村の余剰人員は、海外移民として海を渡った。主に満州移民、ブラジルなどの南米移民、そしてマレーシア、インドネシアなどの南洋移民。菅野力夫の世界探検も、これら3大移民の地と重なっている。現在のマレーシアでも、錫とゴムは有名だ。第3回世界探検、明治の頃移民した日本人たちはコツコツ勤勉に働き、大正後期には自分たちでゴム園をもつにいたるようになる。また日本の商社なども進出してきた。写真右上のLAYANC LAYANCの看板と女性は、ジョホール州にあった台湾拓殖会社経営のラヤンラヤンゴム園で、支配人の納富準一氏の妻とし子夫人。
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2007年12月10日

第3回世界探検旅行、馬来1

alb10-07.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
シンガポールから橋を渡るとマレーシア。ジョホール・バルの町だ。80年前のジョホール・バルの町並みと当時あった菊水旅館の写真。写真の墓地は日本人のものだろうか?地元の人の墓地のようにも見える。
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2007年12月07日

第3回世界探検旅行、新嘉坡2

alb10-03-2.jpgalb10-05.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
マレー系、中国系、インド系と他民族国家のシンガポール。宗教も、ヒンドゥー寺院、道教、仏教寺院、イスラムのモスク、教会と宗教施設の見本市のようだ。かっては、神社もあった。写真は大正時代にあった豊川稲荷神社と日本人共有墓地と新嘉坡本願寺。
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2007年12月02日

第3回世界探検旅行、新嘉坡1

alb10-01.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
英領南アフリカから蘭領東アフリカを経由し菅野力夫は、インド洋を横断しアジアへ戻ってきた。第1回世界探検旅行で最初に足を踏み入れた新嘉坡に、大正14年1月13日に上陸。
新嘉坡、馬来は、アルバムが残っていて、どこに立寄ったか、何を見たか、誰にあったのか、菅野の旅の内容を見ることができる。
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2007年11月30日

第3回世界探検旅行、南アフリカ-5

saf5-06.jpgsaf4-23.jpgsaf5-19.jpg
菅野力夫の第3回世界探検旅行
菅野力夫は、1年以上滞在した南米大陸からアフリカに向け、大正13年11月22日鎌倉丸に乗り込んだ。ブラジルから大西洋を通りケープタウン、喜望峰、イーストロンドン、ダーバンを経由、蘭領東アフリカ(現モザンビーク)デ・ラゴアベー港を経由し新嘉坡へ。大正14年の正月は鎌倉丸で航海中に迎えた
写真は、鎌倉丸から喜望峰遠景。ダーバン港に停泊中の鎌倉丸と思われる客船。そして鎌倉丸の正月風景。
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2007年11月24日

第3回世界探検旅行、南アフリカ-4

saf3-21.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
ダーバンのビーチの写真。この写真は角川クロスメディア「大人のウォーカー」の第3回目の連載でも紹介したが、多くの人が持っているのはボディーボード?サーフィンやボディーボードなど80年前はどうだったのだろう?この当時のヨーロッパ人などの海水浴の楽しみ方はどのようなものだったのだろう?
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2007年11月16日

第3回世界探検旅行、南アフリカ-3

saf3-12.jpgsaf4-20.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
チリ2では、大正13年(1924)チリで走っていた2階建て路面電車をアップしたが、南アフリカダーバン市でも2階建て路面電車は走っていた。この時期世界中で2階建ての路面電車は流行っていたのだろうか。これで少なくともチリ、香港、南アフリカの3ヶ所で走っていたことになる。もうひとつは,アフリカとメモのあるネガの中にあったが、ダーバンだと思われるが1階建ての路面電車。
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2007年11月14日

第3回世界探検旅行、南アフリカ-2

saf3-07.jpgsaf4-25.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
絵葉書の人力車曳きの衣装や飾り、人力車は、なんとも思いがけないものであり、菅野絵葉書を代表するものの1枚だと思う。それともう一人、蛇をつかむ人の写真。かっこからすると船乗りのように見える。手にもっている蛇は、毒は、食用、蛇酒、土産、ペット?なんなのだろう?
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2007年11月13日

第3回世界探検旅行、南アフリカ-1

saf1-05.jpg3saf01.jpgsaf1-16.jpg
菅野力夫の第3回世界探検旅行
大正12年8月10日ペルーに入国、チリ、アルゼンチン、ブラジルを巡って、大正13年11月22日ブラジルから南アフリカに向け鎌倉丸で出航。南米大陸滞在1年3ヶ月。
南アフリカの絵葉書は印象的な人力車曳きと菅野力夫。この黒人の衣装は民族衣装なのだろうか?人力車は明治初期日本で発明されたという説が有力。それから海外に輸出された。大正末に南アフリカにまで広まっていたとは驚きだ。
絵葉書には「邦船鎌倉丸より菅野探検家の実写せるアフリカ南端の都ケープタウン市の遠望(菅野実写一万二千八百枚の内)、英領南アフリカ、ダーバン市街を日本製人力車曳くアフリカ土人の奇なる風俗、世界探検家菅野力夫」
写真左はブラジル・リオデジャネイロ、右は南アフリカ・ケープタウン遠景。
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2007年11月11日

第3回世界探検旅行、アルゼンチン-3

alg02016.jpgalg03033.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
カフェ・トキオとカフェ・ジャポン。大正13年アルゼンチン、多分ブエノスアイレスに2軒の日本名のカフェがあった。当時チリの邦人600人、アルゼンチンでもそれほど変わりはないだろう。その中で2軒の日本名をつけたカフェがあるということは驚きだ。流行っていたのだろうか?経営者はやはり日本人だろうか?客は日本人が多かったのだろうか?カフェだけでなく、レストランなどにも日本名がついた店は多かったのだろうか?例えば洗濯屋など日本名のついた飲食店以外の店はアルゼンチンには多かったのだろうか?当時アルゼンチンの人々は日本人のことをどうおもっていたのだろう?移民した日本人の生活はどんなだったのだろう?いろんなことが知りたくなる。
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2007年11月10日

第3回世界探検旅行、アルゼンチン-2

HO3A039.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
南米の巴里、壮麗美の都と絵葉書に書かれた、今から約80年前ブエノスアイレスの街の様子。ペルーやチリからアルゼンチンに来て、日本からちょうど反対側、南米大陸の最南端の国。そして南米の巴里といわれていたブエノスアイレスの街並みを目の当たりにして、菅野力男は様々な思いにとらわれたことだろう。アルゼンチンのネガは、街や港の写真と広大な草原の写真がある。
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2007年11月07日

第3回世界探検旅行、アルゼンチン-1

3pc008.jpgH03A002.jpgalg02039.jpg
菅野力夫の第3回世界探検旅行
チリからアンデス越えの列車でアルゼンチンへ。アルゼンチンの絵葉書は「国会議事堂」バージョンが1種類、縦写真、横写真があり、また絵葉書の中の別写真は伊藤博士夫妻のもの、国会議事堂の夜景などがある。アルゼンチンのネガは199枚ある。絵葉書の説明書には「南米の巴里と称する壮麗美の都、アルゼンチン国首府ブエノスアイレス市、中央にそびゆる国会議事堂の偉観にして、同市人口二百十五萬」「アルゼンチン国在留邦人の中の成功者山形県人農学博士伊藤清蔵氏夫妻と菅野探検家」とある。写真の内容からアルゼンチンの滞在もブラジル、ペルーに比べると短かかったように思われる。
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2007年11月04日

第3回世界探検旅行、チリ-4

CIL01025.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
Parque Japones 日本公園というものが大正時代のチリにあったのだろうか?
左の部分は富士山のようにみえるが、日本庭園の公園というよりもっとキッチュな公園だったのだろうか?
バルパライソにあったのか、サンチャゴにあったのだろうか?
この写真以外に公園内と思われる写真は無い。
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2007年11月03日

第3回世界探検旅行、チリ-3

CIL02030.jpg菅野力夫の第3回世界探検旅行
バルパライソの港だろうか?写っている船はほとんどが軍艦のように見える。菅野力夫は軍事探偵だった。軍事探偵といっても今と違って他の国の情報が少ない時代、各国の町の様子、人の様子、地形などのことだけでも、貴重な情報だったと思える。この写真の船がチリ海軍のものであればとりわけ軍事探偵らしい写真である。
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