2011年06月08日

「謎の探検家菅野力夫」出版

謎の探検家菅野力夫
謎の探検家菅野力夫
posted with amazlet at 10.06.08
若林 純
青弓社
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明治末期から昭和初期、近代化―脱亜入欧―太平洋戦争の時代に世界中を探検して回った菅野力夫。シベリア、中国、東南アジア、インド、南アフリカ、ハワイ、南米までをも股にかけて歩いた痛快無比の探検家の生涯を、貴重な写真350点を添えて描き出す。


目次
1 きっかけ

2 旧制中学中退、そして頭山満の書生へ

3 日本力行会へ入会

4 辛亥革命の上海へ

5 第一回世界探検旅行

6 第二回世界探検旅行

7 国内講演旅行

8 第三回世界探検旅行

9 絵はがき

10 第四回世界探検旅行

11 第五回世界探検旅行

12 ハワイ事件

13 第七回世界探検旅行

14 第八回世界探検旅行

15 郡山へ転居

16 探検家菅野力夫


著者プロフィール
若林 純(ワカバヤシ ジュン)
1957年9月5日、東京都生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。在学中にヒマラヤ・ダウラギリ縦走隊に参加、ダウラギリU峰(7,761メートル)登頂。1980年代にチベット・チョモランマ、アラスカ・マッキンレー、ネパール・エベレストに遠征。以来、国内外の自然(環境・森林・山岳を含む)、建築(「日本の別荘・別邸」写真展開催、2005年)、社寺彫刻を中心に撮影・企画・執筆。2000年から指揮者小澤征爾氏を撮影するなど幅広く活動している。日本写真家協会会員。

上記内容は本書刊行時のものです。


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2010年08月02日

日経、毎日、高知各新聞に書評が掲載

a>7月28日日経新聞文化欄に「型破り探検家の足跡を追う」の記事が掲載されました。7月20日毎日新聞に「謎の探検家菅野力夫」の書評が、さらに共同通信が江戸川大学斗鬼正一教授の書評を配信、高知新聞、神戸新聞、中国新聞などがその書評を掲載。7月4日松本市民タイムスにも書評が掲載されました。
100728日経.jpg1007高知新聞.jpg100720毎日.jpg

2009年08月03日

第8回世界探検旅行19 星子

菅野力夫の第8回世界探検旅行
「探検家菅野力夫氏再訪大激戦地廬山麓に飯塚部隊長戦死の地及千八百年の歴史を有する秀峰寺境内同連隊長の墓を弔ひ温塘傳坂東温泉(星子より四里の地点)及大富源雲母発掘地等親しく視察せらる  
昭和十四年四月十三日 軍特務部星子班」
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2009年06月21日

第8回世界探検旅行18 南昌2

20-68.jpg20-67.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
「探検家菅野力夫氏は三月二十七日、九江出発の新設南昌特務機関員一行に加はり水路星子・呉城を経て水雷地雷の危険を冒し壱週間の行程を万難を排して浅田特務機関長以下日支人三十七名の一行と共に四月三日無事新戦場南昌へ上陸なし江戸っ子部隊一番乗りの戦跡を視察なし十有七日間当機関員と寝食を共になし本日盧山方面へ向け南昌を出発せらる 邦家の為前途の御健康を祈る 南昌特務機関 昭和十四年四月十二日」
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2009年06月12日

第8回世界探検旅行17 南昌

20-65.jpg20-66.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
中国最大の淡水湖のハ陽湖。その周囲の呉城から南昌へ。揚子江の支流贛江を鉄船で上陸。アルバムに書いてあるように、日本軍が南昌を占領直後だった。
「三月二十七日午後五時南昌を占領せし我か東都部隊の為めに最初の慰問使としての御来訪を深く感謝す 昭和十四年四月三日 布施部隊」
「探検家菅野力夫氏は新戦場江西省首都南昌を訪はれ砲煙弾雨の巷を実査し皇軍最前線将士を慰問せられし其の壮途に対し感謝の意を表す 昭和十四年四月十一日 在南昌大日本憲兵隊」
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2009年05月17日

第8回世界探検旅行16 呉城

菅野力夫の第8回世界探検旅行
大冶から九江、そして南昌へ行く途中星子へ。九江の記録は「九江在留日本人数(昭和十四年三月一日現在)五百九十八名(軍人、軍属、軍雇傭人 及酒保商人は算入せず) 引揚期日昭和十二年八月七日、在留官民数六十四名。軍隊入城昭和十三年七月二十六日、同日領事館再開館」とある。九江には3月23日から26日まで滞在、講演を各部隊で行う。星子には27日、呉城には28日に訪れている。呉城では「三月二十三日占領鄱陽湖畔の要害呉城へ水雷地雷を冒し皇軍の威武水陸に輝く新戦場を踏みて来訪せらる 昭和十四年三月二十八日 於江西省呉城 千田兵站木村支部」と記されている。
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2009年05月10日

第8回世界探検旅行15 大冶鉄山

菅野力夫の第8回世界探検旅行
石灰密から大冶へ。大冶鉄山は鉄鉱石の鉱山で無尽蔵の宝庫と記されている。大冶鉄山には2日滞在。日本製鉄株式会社大冶鉱業所の視察、大冶鉄山警備の伊従(いより)部隊などで講演を行っている。
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2009年04月28日

第8回世界探検旅行14 石灰密

20-59.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
2月下旬岳州から最前線にて講演、最前線で2時間近く講演をするというのはどういう状況、場所で行ったのだろうか?降雨泥濘の往復12里=約50キロ。さらに探検家は休む事無く、将兵への慰問・講演を続けた。3月1日城陵磯海軍集会所に於いて講演、その後軍艦鳥羽2泊。4日5日と漢口に戻り講演。19日に石灰密にて講演を行うまで、3月の18日間のうちに記録に残っているだけで12日間、それも城陵磯、漢口、黄波、新洲、方家坪、漢口、武昌と各地を巡っている。
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2009年04月19日

第8回世界探検旅行13 小橋均

20-54.jpg20-53.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
「湖南省岳州を去る六里、皇軍第一線将兵慰問の為、降雨と泥濘を冒し探検家菅野力夫氏を迎へ熱烈なる講演を拝聴す。一同感銘裨益する所甚大にして感謝に堪へす。
昭和十四年二月二十六日 岳陽縣小橋均 人見部隊渡部部隊本部」
「矢貫中尉の率いる一ケ小隊警備の下に降雨と泥濘を冒して第一線岳州より更に前進往復十二里の行程を騎馬にて踏破し岳陽縣小橋均駐屯の皇軍を訪はれ敵前慰問を決行せられし至誠を深謝す
昭和十四年二月二十八日 於湖南省岳州 人見部隊本部」
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2009年04月11日

第8回世界探検旅行12 君山

菅野力夫の第8回世界探検旅行
「探検家菅野力夫氏昭和十四年二月二十二日来訪。乗員一同に有益なる講演を行ひ同夜本艦に宿泊、翌二十三日保津鳥羽連合陸戦隊の君山掃蕩に従軍す。氏が本艦乗員と共に揚子江最上流の軍艦旗を拝し最前線の労苦を甞め老ひて益々旺なる愛国の熱情と不撓の気魄とは日本精神の発露にして戦線の吾入に強き感銘を与えたり。
昭和十四年二月二十三日 於洞庭湖畔岳州 軍艦保津
(上海岳州間七二一浬、漢口岳州間一三四浬)」
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2009年03月30日

第8回世界探検旅行11 岳州

20-51.jpg20-50.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
「中支最前線岳陽楼より洞庭湖を望む景勝の地岳州に最初の皇軍慰問使として世界的探検家菅の力夫氏を迎え織田司令官以下織田部隊伊藤部隊将兵五百名は二時間に亘り痛快なる御講演を拝聴し一同感銘益々国威宣揚を誓うこれに謹みて深甚なる謝意を表す
昭和十四年二月二十二日於岳州陣営
織田兵站司令部」
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2009年03月23日

第8回世界探検旅行10 武昌

471busyou.jpg451busyou.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
漢口から武昌へ。武昌でも慰問講演を武昌陣営に於いて、町野部隊、奥村部隊、武昌武漢大学大講堂に於いて、栗田部隊などに行っている。この時期の漢口、武昌のデータは以下の通り。
「漢口在留日本人数 昭和14年1月末現在 3002名、引揚前2091名
武昌在留日本人数 昭和14年2月14日調 910名
事変前邦人の居住者無し、支那人の事変前人口約35万人、現在約3000名にて苦力なり一般支那人の帰還及び居住を未だ許さず」と記している。
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2009年03月14日

第8回世界探検旅行9 漢口

391kankou.jpg381kankou.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
大正4年漢口からの葉書は、「大正四年中支那派遣軍司令官白川義則大佐(後の大将男爵)に漢口に於いて恩顧を蒙りて以来二十有五年振りにて再び武漢三鎮の地を踏み今や陸に我精鋭幾十萬、江に艦船幾百艘、日章旗軍艦旗翩翻として輝く皇国日本の偉大なる姿を拝し感激の涙溢る、これより更に勇躍行を進め皇軍最前線岳州に向ひ更に猛進!!重慶か、西蔵か、安南か、蒋介石殲滅の最後の地まで 昭和十四年二月九日(私の誕生日) 探検家 中支那漢口にて 菅野力夫」
菅野力夫52歳の誕生日を迎え、意気軒昂、漢口に10日ほど滞在、そして武昌、最前線岳州へ。
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2009年03月01日

第8回世界探検旅行8 揚子江

20-37.jpg20-38.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
 昭和14年正月を徐州で過ごし、その後1月6日開封で北支戦線の最南端に至り大黄河決壊地域の視察をし、8日蚌埠、10日南京に、12日には上海に入った。上海には10日近く滞在し、講演を行い、19日には大東放送でラジオに出演。25日無錫、28日楊州、29日邵伯、30日鎮江と、各部隊で慰問講演を行っている。2月1日には南京へ。そして揚子江の陸軍御用船芙蓉丸に乗船。2月8日漢口着。南京〜漢口369哩5分となっている。
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2009年02月22日

第8回世界探検旅行7 徐州

20-27.jpg20-28.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
 12月27日青島から再び済南に移動。30日には済南から徐州へ。この地で昭和14年の正月を迎える。正月1日、2日と司令部や各部隊で陣中慰問講演を行っている。昭和13年5月19日午前8時55分特設師団(第十三師団歩兵第六十五連隊第一大隊)両角部隊渡辺隊が、徐州一番乗りを果たした。昭和13年12月10日現在、徐州には日本人1022名がいたとメモがある。
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2009年02月13日

第8回世界探検旅行6 青島

No8aoshima.jpg20-25.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
青島には3度目の来訪、今回は10日滞在。青島日本中学校など学校関係、軍隊関係、居留民などに講演を行っている。山東毎日新聞、青島新報などに菅野の講演のことが掲載されている。
当時の青島は、日本人20131人、旅館38、料理店11、貸座敷(女郎屋)39、芸妓262、酌婦289、昭和13年11月末現在となっていた。
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2009年02月08日

第8回世界探検旅行5 石家荘

20-23.jpg20-20.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
厚和からは石家荘へ。ここで1週間ほど滞在。太原へも往復している。12月は、石家荘、通州、天津、唐山、保定、豊台、済南、青島と周り、年末に徐州に入っている。各地で居留民、軍隊、日本学校などで講演を行っている。移動は無蓋列車、広大な大陸を汽車で移動、菅野52歳。さすが世界探検家、タフだ。菅野の残した「支那旅行記録」には、各地の当時の在留日本人の数、職業、日本学校のことなどが記されている。唐山、保定ともに、昭和13年4月生徒2〜3名で開校。半年後には58、24名になっている。済南の日本小学校は大正4年の開校で、生徒数647名、職員17名。昭和13年度教育経常費53031円。
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2009年01月31日

第8回世界探検旅行4 包頭、厚和

20-10.jpg20-17.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
大同から、包頭、厚和(綏遠、フフホト)へ。各部隊や尋常小学校で講演を行う。包頭熊沢部隊が、「内蒙古最前線に於ける慰問講演を謝す」包頭滝沢部隊は「皇軍於最西北端慰問御講演深謝」と記している。
包頭尋常高等小学校は、昭和13年9月1日児童1名、職員1名で開校。2ヵ月後の11月15日には、尋1年3名、2年1名、5年3名、6年1名、高1年1名、2年3名の計15名になっていた。厚和尋常小学校は、昭和13年4月15日生徒6名、職員1名で開校。11月12日には、生徒62名(内蒙古人14名)職員4名になっていた。
昭和13年10月末の包頭と厚和の状況は、日本人487人(包)1286人(厚)、旅館3(包)7(厚)、カフェ6(包)5(厚)、芸酌婦(仲居女給含む)95(包)151(厚)、料理店6(包)12 (厚)、飲食店4(包)13(厚)、雑貨店4(包)3(厚)さらに厚和では、薬屋2、産婆2、玉突1、洋服店3、写真店4、床屋1、洗濯屋2、菓子屋4などが記されている。
物価は、料理店カフェでビール90(軍人80)サイダー50(軍人40)コーヒー紅茶30(軍人20)、芸妓、花代身代料(1時間花代)将校1.50下士兵1.20地方人2.00、(1時間身代)将校3.50下士兵3.00地方人4.00などが記してあるが単位は不明。
posted by wakabayashi at 13:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

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2009年01月24日

第8回世界探検旅行3 大同

20-14.jpg20-15.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
11月8日〜10日は大同に滞在。8日後宮部隊本部に於いて講演。10日には大同炭鉱を視察。多分9日には大同の石仏(世界遺産の雲崗石窟)を訪れている。
当時の大同は
日本人2647名、日本小学校児童数114名、日本旅館14、日本料理店21、日本カフェー13、支那人7万人と記してある。
大同炭鉱概要
埋蔵量約120億噸、北東〜南西約110キロ、北西〜南東約17キロ、面積約1870平方キロ、深度・第1層75メートル、第2層132メートル、層厚1、7メートル、2、7メートル。
撫順、埋蔵炭量約10億噸、北海道全鉱埋蔵炭量約85億噸、満州全鉱埋蔵炭量約同数と記してある。
posted by wakabayashi at 12:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

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2009年01月18日

第8回世界探検旅行2 張家口

s13001.jpg20-04.jpg20-07.jpg菅野力夫の第8回世界探検旅行
菅野力夫の第8回世界探検旅行
10月18日に下関を出航、釜山経由で北京に入る。21日22日頃には北京に到着しただろう。北京滞在中は、天津、芦溝橋などにも行っている。天津往復の当時の切符が残っている。非常に珍しい貴重なものだろう。11月4日に北京から張家口に行き4日滞在。鉄路局と張家口日本尋常高等小学校校庭では2回、計3回の講演を行っている。
張家口尋常高等小学校は昭和11年4月生徒4名で開校。昭和12年6月生徒30名だったが、7月支那事変勃発後閉校となったが、11月校舎に日本軍部隊駐屯、生徒2名自宅で授業を行う。現在は生徒263名となり、新校舎を25万円で工事中だった。張家口は支那事変以前は、在留日本人は440名、昭和13年4200名。
posted by wakabayashi at 19:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

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