2008年12月28日

第7回世界探検旅行9 マニラ

alb18-94.jpgalb18-95.jpg菅野力夫の第7回世界探検旅行
 バギオ、ボントックから11月26日マニラに入る。マニラには1ヶ月近く滞在している。フィリピン滞在98日。マニラに入り11月28日にはマニラ日本人小学校創立20周年祝賀記念大運動会が行われた。マニラ日本人小学校は、職員16名、児童571名の規模だった。12月19日にはマニラ日本人小学校卒業証書授与式にも参列。その夜河野辰二校長に招待され西班牙料理を賞味する。
 またバギオに行く前の11月14日には、マニラ日本人青年団主催の第5回陸上競技選手件大会も催された。この日青年団主催の講演会が行われ、聴衆1000人、講演は4時間にわたって行われた。
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2008年12月22日

第7回世界探検旅行8 ボントック

alb18-81.jpgalb18-85.jpg菅野力夫の第7回世界探検旅行
11月22日、福島県人会会長須田氏の車でバギオから150キロ離れたボントックへ向う。ここの住人はイゴロット族で当時裸体生活をしていた。この地方には世界7不思議のひとつ、階段式水田あり、数千尺の大渓谷の斜面に石垣を築き稲田を作る。その規模の大、山水の美は天下の奇観である。ボントックには在留邦人17名。唯一の日本商店である足立商店があった。
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2008年12月15日

第7回世界探検旅行7 バギオ

alb18-67.jpgalb18-70.jpg菅野力夫の第7回世界探検旅行
セブから11月3日マニラに上陸。マニラで講演をしながら10日ほど滞在し、バギオに向かう。バギオでは、日本人700名が犠牲となり明治36年開鑿されたベンゲット道路と金山を視察。ベンゲット道路の開通によって、その開鑿工事に従事した日本人は2000数百人。工事後多くの日本人がダバオに移住した。昭和12年のバギオには、在留日本人825名、日本人小学校、校長村井熊雄氏職員7児童142の記録がある。またバギオには福島県人会があり、会長は須田氏で、須田氏は自家用車2台、トラック58台を有し木材運搬業を営む自力奮闘の成功者なり。
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2008年12月07日

第7回世界探検旅行6 セブ

alb19-46.jpgalb19-47.jpg菅野力夫の第7回世界探検旅行
10月27日ダバオ出航、途中サンボアンガに寄航し、10月30日セブに上陸。セブには3日滞在しただけでマニラに向かう。昭和12年(1937)当時のフィィピンは、アメリカの統治から1934年にアメリカは10年後のフィリピンの独立を認め、独立準備政府が樹立。1935年にマニュエル・ケソンが大統領に就任。実際はアメリカの傀儡の状態だった。明治以降、海外にいろんな日本人が進出していたが、日本に近い国のひとつフィリピンにも、多数の日本人が進出。菅野アルバムを見ると、セブにも日本人街があった。セブ日本人小学校もあり、職員4名、児童31名。菅野は日本人会主催の講演会も行っている。
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