2008年09月29日

昭和12年台湾南支那旅行7 タロコ

alb18-42.jpg菅野力夫昭和12年台湾南支那旅行
 現在もタロコ渓谷は観光名所となっているが、昭和12年の頃は漸く道路ができ車でいけるようになったようだ。台湾には漢人が来る前からの原住民族(台湾では先住民ではなく原住民)がいたが、18〜19世紀にかけ平地に住み漢化が進んだ原住民族を「平埔番」と呼び、特に漢化が進んだ原住民族は「熟番」と呼ばれた。漢化が進んでいない原住民族を「生番」または「高山番」と呼ぶようになった。日本統治時代に「平埔蕃」を「平埔族(へいほぞく)」、「生蕃(せいばん)」を「高砂族(たかさごぞく)」というようになった。現在政府認定14民族に分類されている。サイシャット族(賽夏族) タイヤル族(泰雅族、アタヤル族とも) タロコ族(太魯閣族、トゥルク族とも) アミ族(阿美族、アミス族とも、大部分は自称を流用してパンツァハ族とも呼ばれる) ツォウ族(鄒族) など。写真の女性たちはタロコ族だろうか。
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2008年09月23日

昭和12年台湾南支那旅行6 東海岸

alb18-48.jpg菅野力夫昭和12年台湾南支那旅行
台湾は南北に細長い島でその真ん中より右側、つまり東よりに大山脈が通っていて、平野部は西海岸側に多く、東海岸は平野が狭く山が迫っている。台北から台東までの当時の菅野の記述。
「台北発蘇澳及花蓮港を経て台東へ向ふ。蘇澳、花蓮港間三十一里の臨海道路は国幣五百萬圓と十五ケ年の歳月を費して完成せる東洋第一の自動車専用道路にして、太平洋の波浪は千数百尺の脚下に見え壮快を極む」
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2008年09月17日

昭和12年台湾南支那旅行5 台東

alb18-39.jpg菅野力夫昭和12年台湾南支那旅行
 鵞鑾鼻灯台を訪れた後、台北に戻り、今度は台湾の東海岸を訪れている。蘇、花蓮を経て台東へ。当時台東には星薬科大の創設者でSF作家星新一の父親である星一が経営していた星製薬が、キニーネを栽培するために、農園を持っていた。「星製薬会社経営台東庁知本規那造林所を訪ひ所長工藤彌九郎氏に迎ヘラレ原始林開拓の規那栽培地を視察し同夜知本温泉に泊る」
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2008年09月09日

昭和12年台湾南支那旅行4 鵞鑾鼻灯台

alb18-32.jpg菅野力夫昭和12年台湾南支那旅行
厦門、福州、汕頭から台湾に戻ってきて、3月23日に台湾最南端の鵞鑾鼻灯台を訪れている。当時灯台の横には鵞鑾鼻神社があったようだ。写真のように鳥居はアルバムの説明には鯨の牙とかいてある。牙は鯨にはないから骨だろうか?ともあれ神社は今はないだろうが、この鯨の鳥居が残っていたらおもしろいだろうな。第二次世界大戦以前、ここが日本の最南端だった。そして最北端は樺太だった。
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2008年09月03日

昭和12年台湾南支那旅行3 福州

alb18-60.jpgalb18-61.jpg菅野力夫昭和12年台湾南支那旅行
厦門から福州へ。6日滞在。往きは大球丸という船で、ここで「同郷の一等航海士佐久間武雄君と奇遇故郷を語る」。帰りは陸路で厦門へ。途中泉州で1泊している。福州では3月8日に福州日本小学校(職員6名、児童75名)と福州東瀛学校(職員11名、児童340名)、3月9日福州日本居留民会、福州台湾公会の主催、福州日本帝国総領事館の後援で聴衆200名を前に講演をおこなっている。福州の港風景も厦門と同じ、70年前の風景は今はなしだろう。
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