2008年07月24日

第5回世界探検旅行10 新京

16-12.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
北京には5日滞在、その後天津、山海關、大連、金州、普欄店、鞍山、奉天、11月22日には新京へ。新京からは撫順から京城、そして帰国している。それぞれの街のデータは以下のとおり。
北京、日本人2672人、支那人1573874人、外人1066(10月末現在)
   総計157万7612人(2005年末、戸籍人口1,538万人)
北京日本小学校、創立明治39年11月11日、現在児童115名、職員8名
天津、日本人8122名、支那人1253591人、外人4618人(10月1日現在)
   総計126万6331人(2006年、1024万人)
山海關、日本人1473人、支那人63033人、外人49人
  (支那公安局9月調)
大連、日本人134716人、満人206976人、外人1202人、総計342894人
  (8月末現在)
金州、日本人2026人、満人24987人、外人1人、総計26204人
 金州尋常高等小学校、創立明治40年4月、現在児童数146名、職員5名
普蘭店、日本人1110人、満人7463人、露人2人、総計8575人
 普蘭店尋常高等小学校、創立明治42年3月、児童数225名、職員数8名
鞍山、日本人14926人、満人16565人、外人19人
奉天、日本人昭和10年79396人、昭和5年26814人
   昭和10年満人約400000人
新京、日本人280765人、満人183001人、外人417人(昭和10年9月現在
   日本人11483人(昭和5年)
撫順、日本人26146人、満人68276人、外人38人
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2008年07月22日

第5回世界探検旅行9 北京

alb161404.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
承徳からは、特務機関の厚意により軍用プスモス式飛行機に便乗し11月7日午前10時55分承徳飛行場離陸。午後零時19分北京南苑飛行場着陸。とアルバムに記している。菅野は空撮もしていて、熱河の禿山、北支那の村落などの写真がアルバムにあり、北京では天安門、紫禁城を上空から撮影している。70年前の北京。天安門、紫禁城自体はそれほど変わってはいないだろが、周辺は随分と変わったことだろう。
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2008年07月20日

第5回世界探検旅行8 承徳

16-02▲.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
10月17日綏芬河から約2週間、11月3日承徳への間、穆稜、賓江、圖們、羅津、吉林、山城鎮、錦州省錦県、朝陽、熱河省平泉と辿っている。
羅津では、「大羅津港建設状況視察のため来訪、羅津人口内地人6047、鮮人19149、満人253」と記されている。承徳は第4回世界探検旅行のさいの記録は、昭和8年12月人口約3万人、日本人922人、内地人739人朝鮮人183人。今回の記録は、昭和10年10月1日現在、日本人2789人、内地人2332人、朝鮮人457人、満人26009人、外人5人となっている。承徳日本尋常小学校は、昭和9年5月4日創立、現在児童数124名、職員5名となっている。
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2008年07月17日

第5回世界探検旅行7 綏芬河

15-14▲.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
10月11日哈爾賓、10月13日一靣坡、10月14日 横道河子、10月15日 牡丹江、10月17日綏芬河(すいふんが)に到着。

哈爾賓(9月末現在)日本人31885人、満人420383人、支那人539人、露人54979人
哈爾賓日本中学校 昭和10年春開校、生徒数146名
一靣坡(10月1日現在)日本人1039人、満人約321000人、露人750人(内赤系119人)
   旅館3、料理店6、カフェー4、芸酌婦35
横道河子、日本人624人、満人2200人、露人240人
   旅館3、料理店5、カフェー6、芸妓8、酌婦12、女給26
牡丹江、日本人8810人、満人17527、露人43
   旅館65、料理店27、カフェー13、飲食店56、芸妓98、酌婦74、女給172
牡丹江日本尋常高等小学校、昭和10年1月1日開校当時18名、現在285名、職員現在7名
綏芬河、日本人1471名、満人6639人、露人白系607人、赤系1282人
   旅館6、料理店11、カフェー飲食店18、芸酌婦81、女給29、農業350
綏芬河は、「満州東端満露国境都市、国鉄賓綏線最終点駅」とあり、「東部国境は何等境界として確定的の標識設置なきも、駅を離れ東方約一里の地点にして付近は極めて波状的山脈重畳し両国互いに国境監視所を置き昼夜警戒の任に当たれり。」と記している。
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2008年07月15日

第5回世界探検旅行6 海拉爾

15-12▲.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
満州里は国境の街。鉄道はこの先ロシアのシベリア鉄道となる。満州里を含め周辺は、草原と放牧地帯。菅野はここから哈爾濱に向っている。アルバムは、途中の10月7日海拉爾、10月9日札蘭屯の写真だ。
海拉爾は(8月末現在)日本人1551人、満人10089人、蒙古人約200人、日本小学校、職員4人、児童84人、日本人職業、料理店17、旅館5、カフェー26、芸妓70、酌婦60、女給140。
札蘭屯は、日本人239人、満人約4000人、蒙古人約1500人、露人約300人。日本人職業、旅館2、料理店4、カフェー2、芸妓4、酌婦18、女給3と記録されている。札蘭屯日本尋常小学校は、本年5月1日開校、職員2、児童10となっている。
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2008年07月12日

第5回世界探検旅行5 兆南

15-07▲.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
 満州里の前に兆南によっている。鄭家屯日本領事館兆南警察分署、兆南県公署を訪れている。兆南は、日本人(9月1日現在)1293人、城内人口58000人、兆南県人口170000人と記録している。翌日10月1日には兆安(白城子)、ここでは兆安日本小学校、警察、役所を訪れている。兆安は、日本人(9月1日現在)1350人、城内各国人12639人、兆安県総人口94446人。
10月2日は王爺廟。ここは(9月1日現在)日本人667人、満人1600人、蒙古人1700人と記録されている。ここには興安軍官学校があり、蒙古人将校養成唯一の学校だった。日本人教官72名、蒙古人生徒140名。こういった北満州の地を経て満州里にむかった。

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2008年07月05日

第5回世界探検旅行4 満州里

15-11▲.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
昭和10年9月26日の北安日報の記事は、「世界探検家として有名な、菅野力夫氏が二十日入港、二十日より二日間に亙り、防衛隊、守備隊で得意講演をなし、二十三日は日本居留民會主催で当地小学校講堂に於いて午後二時より二時間に亙る、血湧き肉躍る大熱演をなし聴講者を感激、興奮なさじめ盛会裡に終った。尚氏は自分は是れより北安に出て満州里、吉林、熱河を歩き、・・。」講演記録によると北安鎮は新開地で、人口は日本人1200人、満州人3500人となっている。9月26日日本領事館北安鎮警察分署のスタンプがある。しかし、新開地に新聞があるというのは驚きだ。27日チチハル、29日昴々渓、30日鄭家屯、10月1日洮安、2日王爺廟、そして6日には満州里に到着。
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2008年07月04日

第5回世界探検旅行3 黒河

昭和10年旅行と講演・満州1.jpg15-05▲.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
哈爾賓を9月11日に出航した上海号は松花江、黒竜江と遡り、9月20日に北満州のロシアのアムール州と国境をはさんだ黒河に着いた。講演記録に残されたように明治39年頃から日本人が3戸、3家族だろうか、いたようだ。昭和に入って満州事変直前昭和5年ころだろうか、日本人6名しかいなかったのが、5年後には日本人が1000人弱すむようになっていたようだ。そのほか満州人が1000人超。2000人の人が住む町になっていた。黒河日本人小学校もあり菅野は講演を行っている。記録には昭和10年4月5日開校。児童9名、目下26名とある。黒河からは列車でチチハルに向った。

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2008年07月02日

第5回世界探検旅行2 黒龍江

15-03.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
佳木斯の先で松花江は本流である黒竜江(アムール川)となる。外輪船である慰安船上海号は満州ロシア国境を溯上。昭和十年九月十一日の哈爾賓日日新聞の記事によると、菅野は陸鐵路局の嘱託として大黒河を振り出し國鐵全線に亘り巡回講演をなしつつ傍ら北満各地を視察・・とある。アルバムの写真は黒河手前の地、哈爾賓を9月11日出航、14日蘿北県兆興鎮、15日蘿北県太平溝、16日佛山縣を通過している。
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2008年07月01日

第5回世界探検旅行1 松花江

15-02.jpg菅野力夫の第5回世界探検旅行
昭和8年〜9年にかけ第4回世界探検旅行で満州・蒙古・支那の62ヶ所を訪れた。翌昭和10年8月末から11月末までの3ヶ月だけだが、第5回世界探検旅行、満州とロシアとの国境から蒙古を訪ねている。昭和12年にハワイ、アメリカへの第6回世界探検旅行が決まっていたので、日本、および満州の現状を視察、アメリカでの講演に備えたものだった。8月26日大連に上陸、南満州鉄道松岡総裁に会い、新京では大使館、関東軍などを訪れ、9月9日には哈爾賓着。哈爾賓からは、松花江を船で佳木斯、黒河を訪れている。
アルバムにある蘿北県兆興鎮には、当時在留邦人、憲兵六、日系官吏六、夫人五、満人妻二、小児三、計二十二とある。
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