2008年06月27日

大正6年国内旅行2 神戸

alb6-88-2.jpgalb6-88.jpg菅野力夫の大正6年国内旅行
 大正6年初頭の関西講演旅行は、2月9日の大阪朝日新聞の伝える2月14日大阪商業学校で一応終り、次は4月3日に東京から名古屋に来て愛知県から岐阜県、滋賀県、和歌山県、奈良県を廻り、6月1日に神戸に到着。県立第一中学校、神戸商業学校、県立高等女学校などで講演をし、12日基督教青年会館に於いて講演を行った。アップしたのはその時の写真だが、講演をしている時に見せた探検旅行のさいに持参した品物が置かれているのが写っている。水筒、短剣、拳銃、帽子が置かれている。神戸のあと滋賀県、三重県、静岡県と10月まで各地を巡回している。この間ずっと短剣と拳銃は持参していたのだろうか?
第2回世界探検のことを報じる大正三年九月十四日の神戸又新日報の記事は、「蕃島開拓の壮図 世界無銭旅行家の来社」8月1日正午午砲を合図に東京日比谷公園を出発。世界無銭旅行の壮挙を企てたる探検家菅野力夫氏(28)は宮田自転車商会より耐久力試験のため寄贈になれる旭号自転車に乗り東海道筋を経て13日着神。特に本社を訪れ壮快なる旅行談を試みたり。カーキ色軍服仕立の洋服に短銃、日本刀その他の護身用武器を入れたる黒革製大鞄と水筒を十文字に肩にかけ蓬々たる鬚髯をしごきながら語るところによれば・・・。
posted by wakabayashi at 22:47 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月26日

大正6年国内旅行1 京都

2pc003.jpgalb6-67.jpg菅野力夫の大正6年国内旅行
残された新聞の切り抜きから、大正5年5月の和倉温泉から山陰、山陽の講演旅行から6月には一旦帰京したようだ。9月には頭山満翁の紹介状をもって福岡県入り。12月まで九州1周講演行脚。年が明け大正6年は、1月23日の京都日出新聞、京都新聞などの切り抜きで始まっている。2月まで京都、大阪を中心に講演活動を行っている。その時大丸百呉服店写真部で撮影した軍服姿は、絵葉書にも使われている。
posted by wakabayashi at 11:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月23日

大正5年国内旅行2 長岡

alb6-37-2.jpg菅野力夫の大正5年国内旅行
 講演の後には、写真のような歓迎会が開かれた。しょっちゅうなのか、時々なのか、いつもなのかはわかりかねる。しかしアルバムには宴会の写真もよくあるので、しょっちゅうといったところなのだろう。長岡のあと富山から石川を訪れているが、和倉温泉では新聞にのるほどの盛大な饗応を受けた。
大正五年五月六日の北陸新聞には、「大持ての菅野君 和倉芸妓の惣揚げ・・・和倉温泉も目と鼻の僅か二里と聞いてはヂツトしては居れず自転車に身をのせて一走り加賀屋旅館に宿泊したが、館主の小田與吉郎も凡人とちょっと変わった人間で菅野君と一言二言雑談の中に意気相投じ世界的探検者を月並に待遇するのは本意にあらずと力瘤を入れ下にも置かぬ大歓待を極め翌日金沢に帰ると云ふを無理に引きとめ船を一艘仕立て和倉芸妓を惣揚げにドンチャンの大騒ぎ竜神を驚かした・・・。」
posted by wakabayashi at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月22日

大正5年国内旅行1 水戸

alb6-30-2.jpg菅野力夫の大正5年国内旅行
大正5年の正月は、北海道樺太講演旅行の帰途の青森で迎えた。1月9日東京に戻り、約1ヶ月東京にいて、2月7日には水戸に行った。その後関東各県から長野、新潟、北陸を通り、山陰、九州、山陽と約半年にわたっての国内講演行脚。愛輪の宮田製作所の旭号とともに、時には汽車を使い、時には自転車で、大正4年7月に上海から九州長崎にもどってきてから、1年で日本1周講演旅行をしている。この自転車について、大正五年四月十三日の佐渡毎日新聞では、「記者は辞去する際旅館の入口に在った旭号を見つけると氏はこの自転車は東京の宮田工場から寄贈されたもので重量も普通の自転車に比し余程重くなって居ると説明さる。この自転車が幾万里の行程をお伴して来たかと思うと一種偉大な感に打たれる。自転車のハンドル前にはPRESENTED TO MR.R.SUGANO WORLDTOURIST OF JAPAN MIYATASEISAKUSYOといふ札ガツイテサドルの両方には日の丸と旭とのマークが赤々とこの世界旅行者の前途を祝福するように輝いて居た。」と伝えている。
posted by wakabayashi at 12:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月20日

大正4年国内旅行6 北海道

alb6-25.jpg菅野力夫の大正4年国内旅行
10月29日に樺太から北海道に戻った菅野は、その後2ヶ月にわたって北海道各地を講演して歩いている。訪れた地は、小樽、札幌、、釧路、十勝、旭川、留萌、小樽、岩見沢、夕張、室蘭など。樺太の時とは違って自転車ではなく、汽車で移動したのだろうが驚くべきパワーだ。大正4年の前半は満州から中国を歩き回り、後半別府で約1ヶ月休養した後は、四国、東京、郷里福島でも郡山で病床の父を見舞ったあとは、講演、講演の日日。郷里ではほとんど休まず北海道、樺太へ渡り、移動と講演の日々。こうして菅野の足跡をたどっていくと、世界探検旅行もとにかく動きまくっているし、国内でも常に動いている。たいしたものだとつくづく感心してしまう。
posted by wakabayashi at 19:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月17日

大正4年国内旅行5 樺太

alb6-18.jpg菅野力夫の大正4年国内旅行
東京には数日しか滞在せずにすぐに病床の父親を見舞うために郷里の郡山に、そのあと10月2日には福島市、会津若松と講演をし、10月14日には北海道へ。16日に樺太に船で向かい17日樺太大泊着。18,19と講演をして、20日大泊から豊原へ。豊原へは自転車で移動。豊原で講演をし22日には真岡へ。23日講演をし、24日真岡から豊原へ。25日にまた豊原で講演をしている。小樽には29日に戻ってきている。樺太滞在12日。大泊は現在コルサコフ。真岡はホルムスク、豊原はユジノサハリンスク。
菅野の樺太での講演を報じる新聞は、樺太新聞、樺太日日新聞、樺太毎夕新聞などがあるが、その新聞の切り抜きの中に、10月24日真岡から豊原へ向う日に積雪があり、春日峠付近では1尺5寸の積雪で、24日18時から予定していた講演会に間に合わず、講演会は25日になった。と報じている。
posted by wakabayashi at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月11日

大正4年国内旅行4 東京

alb6-14.jpg菅野力夫の大正4年国内旅行
第2回世界探検旅行から帰国。東京駅で歓迎の様子を伝えるアルバムと新聞。
アルバムには「日本力行会、東京自転車業組合の歓迎 大正四年九月二十七日」とあり、東京の新聞は、東京毎夕新聞、東京夕刊新報、夕刊中央新聞、東京毎日新聞、萬朝報の5紙が菅野の帰着を伝えている。以下は東京毎日新聞の記事の要約。
東京毎日新聞 大正四年九月二十八日 第一万四千五百九号
「世界無銭旅行家 菅野力夫帰る」
日本力行会員にして世界探検旅行者たる福島県郡山の菅野力夫(29)は、去る四十四年中始めて志を樹て行程三萬五千哩閲日二ケ年半に亘りペルシャ国境に於いて軍事探偵の嫌疑を受け怨を嚥んで昨年二月帰朝し、更に昨夏八月第二回の壮途を抱き双輪を駆って東都を発足這度は寒地を選びてバイカル、イルクック、モスロウ、ベトログラードを経て欧州戦乱地に進入せんとしたるも不幸病魔の冒す所となり行程一萬五千哩約一ケ年にして七月中旬長崎へ帰着。別府温泉で静養中此程全快したるを以て発し、二十七日午後四時十五分東京駅着の汽車にて上京せるが是より先日本力行会員は旋旗を東京自転車組合は旭日の歓迎旗を振翳して歓迎者二百名を越えたるが菅野氏当日の扮装は詰襟カーキー色の夏服に同色のヘルメット帽を頂き身長六尺に近き大男にて東京駅に降車するや直に自転車にて宮城前に到り陛下の万歳を唱え旅程の報告を為し終わって日比谷公園音楽堂前にて出迎者一同を前に簡単なる挨拶を陳べ園内松本楼の歓迎会に臨み主客歓談を交換して七時半散会せり。
posted by wakabayashi at 23:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月09日

大正4年国内旅行3 高知

alb6-08.jpg菅野力夫の大正4年国内旅行
菅野の講演の様子を伝えるアルバムの写真と、土陽新聞、大正四年九月二日の記事抜粋。
「大成功の講演会  流石の菅野氏も大満悦」
細工町芳栄座に於いて探検講演会を開催せしに咄嗟の催しにも拘わらず来会者八百余名。階上階下人を以て充満され立錐の余地もなき盛況を呈したり。定刻に到るや菅野力夫氏はかつて長途の旅行に用ひたるカーキ色の軍服姿にて漆黒の美髯を撫しつつ悠揚登壇し自己が世界探検を企てし理由及び第一回第二回の歴程に就き其の梗概を述べたる上得意の雄弁鼓し、如何にも冒険家に適合はしき其樸茂なる風姿と率直なる述懐とは話題の変化多様なると相待て痛く来会者の心耳を鼓動し非常なる喝采を博したり。而して氏の講演は前後三回に亘りしが此の間又得月楼芸妓春子の琵琶歌、南海軒湖水の浪花節ありて興を助け午後十二時無事散会を告げたり。斯くの如く盛会なりしは未だかって見ざる所なる由にて泰山前に崩るるもびくともせぬ菅野氏も「流石は土佐人なり」と大満悦。
posted by wakabayashi at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月08日

大正4年国内旅行 四国

alb6-06.jpg菅野力夫の大正4年国内旅行
1週間滞在した長崎から7月19日に別府に到着。約1ヶ月間の療養生活に入る。しかし別府でも2回ほど講演をしている。そして療養のあとすぐ東京にむかうのではなく、第2回世界探検旅行の間ともにした愛輪の旭号とともに、四国を1周している。そして先々で講演を行っている。このヴァイタリティー、行動力は流石というべきか恐るべしというべきか。8月18日松山に入り、徳島から香川と訪れ、9月22日岡山に到着。約1ヶ月かけ四国1周をしている。
posted by wakabayashi at 14:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月05日

大正4年国内旅行 長崎

alb6-03.jpg大040716東洋日の出新聞.jpg菅野力夫の大正4年国内旅行
大正4年、菅野は第2回世界探検の途中、上海で病を患い2ヶ月近く入院。ニューギニア探検を断念、帰国した。7月10日上海を船で出航、7月12日長崎に上陸、別府温泉で療養のため志半ばで帰国した。長崎には1週間ほど滞在し、ここが菅野力夫らしいところだが、長崎の新聞社4社を訪ね、しっかりと新聞記事にしている。写真はなかでも一番大きく菅野の世界探検の記事を扱った、東洋日の出新聞の切り抜きと当時の東洋日の出新聞社の社屋をバックに盛大に歓迎されている菅野の写真だ。

posted by wakabayashi at 23:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

2008年06月01日

第4回世界探検旅行10 青島

alb14-39.jpgalb14-45.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
 昭和9年4月になると奉天から安東、旅順、大連、芝罘、青島と訪れ、5月になって南京、そして上海から5月の中旬に帰国。第4回世界探検旅行を終えている。
 青島を訪れた時は桜の時期で、アルバムには「青島神社境内桜花爛漫」と青島神社の桜の写真が数ページあり、ほかに旧ドイツ砲台、青島湾の写真がやはり数ページある。写真の帝国軍艦は、そのような軍艦で名称は何丸なのだろう?
 青島の最後のページには青島出航とあり、船で青島を離れ次の街、多分上海方面に向ったと思われる。
posted by wakabayashi at 23:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人気blogランキングへ

banner2.gif
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。