2008年05月31日

第4回世界探検旅行9 雄基

alb14-56.jpgalb14-58.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
3月には吉林から朝鮮に行き、延吉に戻り営口、遼陽、奉天と訪れている。アルバムには満鮮国境の鉄橋、朝鮮北端の港・雄基、清津の女学校などの写真がある。現在の北朝鮮なので、貴重な写真だ。吉林で朝鮮に行ったのは清津の学校で講演をしたのだろうか?学校の写真は校庭で朝礼台に向って並んでいる女学生の列を後ろから撮った写真があるだけだ。
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2008年05月23日

第4回世界探検旅行8 蒙古

alb13-55.jpgalb13-54.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
 熱河、承徳から赤峰、朝陽、錦州そして正月は大連ですごしたようだ。昭和9年1月は、大連、撫順、新京、鞍山を訪れている。大連、新京と長逗留したようだ。2月になると10ヶ所、安東、本渓湖、四平街、公主嶺、鉄嶺、鄭家屯、通遼、蒙古(パインタラ、ネムタイ、銭家屯)、洮南、吉林と訪れている。1ヶ所平均3日、満州・蒙古を縦横に駆け巡っている。
 パインタラは出口王仁三郎と関係した土地で、今までに菅野と出口王仁三郎とのつながりは確認できていないが、この年の7月、頭山満、内田良平も関与した昭和神聖会を発足させている。
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2008年05月20日

第4回世界探検旅行7 熱河承徳

alb13-11+12.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
 旧熱河省の省都であった承徳。現在は河北省、遼寧省、内モンゴルに分割されている。菅野が訪れた昭和8年は、関東軍により熱河侵攻作戦が行われ、承徳は3月に占領している。
 12月に訪れ時の菅野アルバムの承徳のデータは、人口約3万人、日本人922人、内地人739人朝鮮人183人となっている。明清朝の頃から夏の避暑地として有名だった。現在承徳避暑山荘と外八廟が世界遺産に登録されている。写真のラマ寺院は外八廟の1つなのだろう。
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2008年05月17日

第4回世界探検旅行6 古北口

第4回古北口.jpg古北口1+3.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
12月に万里長城、山海關を越え、北京を訪れたあと、今度は古北口で万里長城を越えて熱河承徳、赤峰、朝陽、錦州と訪れている。古北口は、北京と熱河承徳を分けている万里長城で、現在はあまり観光地化されていないようだ。
 古北口は、北京から北に120キロ。古来より北京への北からの唯一の入口、北京の北に連なる燕山山脈がここで途切れ、東の蟠竜山との間に平坦な道ができている。そのため2500年まえから軍事施設が設けられてきた。現在の古北口長城は、明代のもの。全長20kmの区間内に143の望楼がある。望楼の規模は大きいものは100人の兵士が駐屯でき、小さいものでも10人くらいが駐屯できるようになっていた。
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2008年05月15日

第4回世界探検旅行5 北京

第2回北京.jpg12-1+2.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
菅野は第2回世界探検のさいシベリアから満州を経て北京を訪れている。今回も北京を再訪している。絵葉書は第2回北京を訪れたときのもの。今回も紫禁城には行っている。紫禁城だけでなく、天壇公園、北海、萬壽山などを訪れ、さらに講演もしている。
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2008年05月12日

第4回世界探検旅行4 山海關

12-29+30.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
山海關は万里長城の東端、天下第一関で、万里長城の東から最初の関であり、昭和8年1月に関東軍が山海關を占領した。菅野のアルバムの書き込みによると、山海關事変直前の在留邦人は150名、菅野の訪れた11月には700名に増えている。この時満支国境であり、満州国の碑が建てられた。菅野は山海關から天津、北京へと入った。
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2008年05月10日

第4回世界探検旅行3 奉天

wt-4005.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
 昭和8年11月は、ハイラルから哈爾濱、奉天、安東、撫順、そして大連に戻り、大連から奉天、山海關、天津、唐山、そして北京に入った。大正4年の第2回世界探検旅行でシベリアから満州を訪れた時に、大連、撫順、哈爾濱、満州里、天津、北京には行っているので、今回18年振りの再訪だ。
大正から昭和初期にかけての日本、満州、支那と激動の時代、菅野は何を観、何を感じたのだろう。菅野自身、第2回の頃は20代、世界探検家として講演師としても駆け出しの頃、今回第4回の時、菅野は40代半ば、世界探検家としても講演師としても当時押しも押されぬ存在となっていた時だ。
奉天には11月と翌年2月に訪れている。アルバムに書き込みのデータは昭和9年2月のもの。
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2008年05月09日

第4回世界探検旅行2 チチハル

alb141601.jpgalb141801.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
 第4回世界探検旅行は大連から始まった。昭和8年9月は大連、新京、旅順を回り大連に戻ってきている。そして10月になって大連から、ハルピン、海倫、北安鎮、チチハル、チチハルからは飛行機で満州里へ飛び、ハイラルと満州各地を訪ねている。
 写真はチチハルから満州里に飛んだ飛行機。この飛行機は日本軍のものだろうか?尾翼のマークからすると軍のものではないのだろうか?アルバムには「大興安嶺を飛行機にて越ゆ」としか書いてない。
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2008年05月07日

第4回世界探検旅行1 満州里

wt-4006.jpg菅野力夫の第4回世界探検旅行
大正14年、あしかけ3年にわたり世界1周した第3回世界探検旅行から帰国。その後日本各地で講演旅行をしていた菅野は、昭和8年第4回世界探検旅行へ出発。当時の満州、蒙古、支那の62ヶ所を昭和8年9月から昭和9年5月まで8ヶ月の探検旅行だった。
 昭和6年に満州事変、昭和7年満州建国、そしてこの年、昭和8年(1933)は、日本が国際連盟を脱退。昭和9年皇帝溥儀が即位。第4回世界探検の地に選んだ満州、蒙古、支那は、こういた情勢の中、日本人の海外発展のための地として、今までマレー、ジャワからインド、シベリア、南米と視てきて、第2回大正3年から4年にかけて訪れた、満州、蒙古、支那の地を再訪。何を感じ何を思ったか、残念ながら手記がないので、残された写真から推測するしかない。
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